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パウロス1世(〔ただし英語・ドイツ語・デンマーク語など他の欧州言語では「2世」がまだ存在しない君主の名に「1世」を振る習わしがないので、名は Paul I ではなく単に Paul となる。〕、1901年12月14日 - 1964年3月6日)はギリシャ王国の国王(在位:1947年4月1日 - 1964年3月6日)。 == 生涯 == コンスタンティノス1世とドイツ皇帝フリードリヒ3世の娘ゾフィーの三男としてアテネで生まれ、海軍士官としての教育を受けた。 1917年から1920年までは父王と、1923年から1935年までは兄ゲオルギオス2世とともに亡命生活を送っている。ギリシャがナチス・ドイツの支配下にあった第二次世界大戦時には、ロンドンならびにカイロの亡命政権に身を寄せ、カイロからギリシャ国民へメッセージを送り続けた。 1946年に帰国する。ギリシャ内戦の最中だった1947年4月1日、子がない兄ゲオルギオス2世が心臓発作で急死したことに伴い、王弟のパウロスは王位を継承した。従弟で元ギリシャ王子のフィリップ・マウントバッテンと、イギリス国王ジョージ6世の第1王女エリザベスとの婚約が正式発表されたのはそのすぐ後のことだったが、同年11月20日にロンドンで行われた結婚式には腸チフスを患って出席できなかった。 王政派に加えて共和主義者の支持も得て、1949年までにその力をほぼ失っていたギリシャ民主軍との戦闘は事実上終結させることに成功し、特に被害の大きかったギリシャ北部の建て直しを始めることとなった。 1950年代になるとギリシャ経済は回復を果たし、外交と貿易も活発になったが、パウロスは自身の外遊によってこれを側面から支えた。長年の敵対国だったトルコへギリシャの国家元首としては初の訪問を果たしたのもこのパウロスだった。 しかし内政では問題も多かった。1955年に自身の肝煎りで首相に任名したカラマンリスを、1963年にはフリデリキ王妃との確執を理由に突如解任、以後ギリシャ政局は混乱を増し、これに伴って社会不安が増大、これが後の王政廃止の伏線となった。 1964年3月6日胃癌で死去、62歳だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パウロス1世 (ギリシャ王)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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